1600年の歴史がある老麺という伝統製法を
受け継いだ日本で唯一の肉まん

かつては高級中国料理店でも老麺による肉まんが作られていましたが、職人の技術と感覚が頼りの老麺は、維持管理して使い続けることが難しく、誰でも簡単に作れるイースト菌を使用して作るものが主流となりました。現在日本では、その正統な老麺を作れる職人が完全にいなくなってしまいました。 目黒雅叙園の元料理長である高野が日本で唯一の老麺師となりました。

老麺の魅力

老麺(ロウメン)は、天然酵母で作る唯一の技法のことを言います。自然発酵でじっくりと時間をかけて発酵させた老麺生地は、繊細な甘みと旨みがあります。また、長い年月をかけて、繰り返し継ぎ足すことで、熟成し、より豊かな風味へと進化していきます。

原材料のこだわり

 

原材料の安全性だけでなく、産地の環境や生産者さんのお人柄までこだわって仕入れをしています。豚肉などの肉類は地元で有名な精肉店の藤井商店から仕入れており、産地は主に茨城県、千葉県のものです。小松菜は、福島県の無農薬野菜を肉まん高野の専属で育てて頂いております。

料理長

高野 文雄

1948年(昭和23年)山梨県出身赤坂飯店、富士会館、平和島大飯店等、高級中国料理有名店で勤務の後、日本における中国料理の最高峰である目黒雅叙園にて料理長として長年活躍。中国料理最高水準の技術をベースに、日本伝統の職人の手仕事との融合により日本独自の洗練された味を創り出してきた。上海、香港、台湾等の本場で中国料理の技術を習得。日本人初の中国料理最高資格を取得。最高の料理を提供することはもちろん、更に感動的な料理体験を味わってもらうために、宴会場のテーブルに氷細工の五重塔や庭園を配置したり、生花や茶道、歌舞伎などの芸術とのコラボをプロデュースしたり、料理体験を芸術的領域にまで高める演出を主導。職人技の伝承にも貢献し、中国料理界で多くの料理人を育成した。 後輩には料理界の第一線で活躍する職人も多数。日本中国料理調理師友好会役員をはじめ、料理人をまとめる活動にも尽力している。

私たちの想い

 

高野料理長は中国から渡ってきた老麺種をずっと育て、長年維持してきましたが、目黒雅叙園を退職後約30年もの間、この老麺が表に出ることはありませんでした。再びこの老麺に向き合うことになったのは、高野料理長の息子である私の強い想いによるものでした。

お店を作ろうと決意したのは、ちょうど今から12年前です。私は、東日本大震災の風評被害に苦しむ農家さんを支えたいと、安全で美味しい野菜を横浜の路上で販売しておりました。その当時は、風評被害が激しく状況はボロボロでした。雪が降る中、手がかじかんで震えながら大声で「いらっしゃいませ~」と叫んでいました。
ある日、見知らぬお婆さんが「これ食べなさい」と市販の肉まんを 温めて持ってきてくださいました。あまりの寒さでキンキンに冷えた肉まんでしたが、私は声を出して泣きながら食べました。こんなに温かい肉まんを食べたのは初めてでした。
その時に思ったのが、当時60歳を超える父しか作れなかった肉まんを私が受け継ぎ、「日本一温かい本物の肉まんを作る」 ということでした。

1600年の歴史があるこの技術を、この文化を、この想いを後世に引き継ぎ、存在させていかなければならない、という強い想いを抱き、父でもある老麺師髙野料理長に訴え続けた結果、父の心を動かし、老麺復活へと動き出すことごできました。

天然酵母を使ったパンはありますが、肉まんのように湿度100%、温度99℃のような中では、焼くのと環境が全く違い、本当に難しいのです。しかし簡単に扱うことのできないこの目に見えない生き物と向き合い、絶やさずに後世に伝え続けて行くことが自分の使命だと信じております。
日本一温かい本物の肉まんを後世に繋いでいかせてください。
最後に、ここまで私たちの想いに耳を傾けて、心をお寄せ下さいましたすべての皆様に心から感謝いたします。

二代目老麺師髙野賢司